The Point of No Return

カイ・ニールセン 「ロザニー姫と浮気な王子さま」
Kay Nielsen, Rosanie or the Inconstant Prince.



ドン・ファン(ファントム)
もう引き返すことはできない
一瞬、振り返ることさえできない
これまでの戯れは ついに終わったのだ…

「もし」 「いつか」 と 考える時は過ぎた
逆らうことなどできない
考えることをやめ
夢に身をまかせるのだ

どんな荒れ狂う炎が 魂を溢れさせるのだろうか?
どんな濃厚な欲望が 扉の鍵を開けるのか?
どんな甘美な誘惑が 私たちの行く手に待ち受けるのか?

もう引き返すことはできない
最後の一線を越えてしまった
言葉にできない どんな熱い秘密を
私たちは知るのだろうか?
ここからはもう 引き返すことはできない…

アミンタ(クリスティーヌ)
あなたは私を連れてきた
言葉が干上がる この場所へ…
会話が消えて 沈黙が… 沈黙だけが残る この場所へ…

私はここに来た
その理由さえ まるで分からないままに
でも心の中では 既に思い浮かべていたわ
私達の体が絡み合う様を
無防備に 静かに
今 私はあなたと共にここにいる
思い直すことはない
私は決心したの 決心を

もう引き返すことはできない
もう後戻りはできない
私達の受難劇が ついに始まった

正しいことなのか 過ちなのか 判断すらもうできない
残る疑問ははただ一つ
私達が一つになるまでに どのくらい待てばいいの?
血が体中を駆け巡り 眠っていた蕾が 一度に花開くのはいつ?
燃え盛る炎に 私達がついに 焼き尽くされるはいつ?

二人
もう引き返すことはできない
最後の一線を越えてしまった
もう橋は渡ってしまった
あとは橋が燃え落ちるのを見ていよう…
ここからはもう 引き返すことはできない…

ファントム
言っておくれ
私とと共に分かち合うと
ただ一つの愛を 一度きりの人生を…
…この孤独から 私を連れ出してくれ 救い出してくれ

言っておくれ 私が必要だと
ここに 君の傍らに
君がどこへ行こうと
私もついて行こう
クリスティーヌ
それが私の望む…




カルロッタ
何なの? 何が起きたの? ウバルド!

アンドレ
ああ なんてことだ! なんてことだ!

フィルマン
我々は終わりだ、アンドレ。もうだめだ!

ジリー
子爵様! こちらにいらしてください!

カルロッタ
ああダーリン 私のダーリン
誰がこんな事を?
あなた方! どうしてこんな事が起こるの?

ジリー
子爵様 私は彼らがどこに消えたのか知っております

ラウル
それは確かですか?

ジリー
確かです
けれど 忘れないでください
手は目の高さまで上げておくのです!

ラウル
だが なぜ?

ジリー
なぜ?
“パンジャブの投げ輪”ですよ ムッシュー
最初の犠牲者はブケー
そして今度はピアンジです

メグ
このように上げてください ムッシュー
私も一緒に参りますわ

ジリー
だめよ メグ!あなたはここに残りなさい!
ムッシュー 私と一緒に来てください。
急いで!手遅れになる前に





 ファントムが創ったオペラ『ドン・ファン』、そのヒロインを彼の音楽の天使クリスティーヌが歌い、そしてついにファントム自身が、タイトルロールのドン・ファンを歌いだす。
 歌詞は“The Music of the night”と同じく、毒のある美しさと官能を感じさせます。麻薬のような陶酔、音楽が自分を包み込み、自分の内側からも溢れ出す。
 ところがその夜の音楽を、別な曲に変えてしまったのは作曲者であるファントム自身。

Say you'll share with me one love, one lifetime ...
Lead me, save me from my solitude ...

Say you want me with you, here beside you ...
Anywhere you go let me go too -
Christine, that's all I ask of ...

言っておくれ
私とと共に分かち合うと
ただ一つの愛を 一度きりの人生を…
…この孤独から 私を連れ出してくれ 救い出してくれ

言っておくれ 私が必要だと
ここに 君の傍らに
君がどこへ行こうと
私もついて行こう
クリスティーヌ
それが私の望む…
 この歌詞はクリスティーヌとラウルの美しい愛の歌“All I Ask of you”で、ラウルが歌ったそのままの歌詞です。ただ一部分をのぞいて。

PHANTOM
Say you'll share with me one love, one lifetime ...
Lead me, save me from my solitude ...
言っておくれ
私とと共に分かち合うと
ただ一つの愛を 一度きりの人生を…
…この孤独から 私を連れ出してくれ 救い出してくれ

RAOUL
Then say you'll share with me one love, one lifetime
Let me lead you from your solitude
それなら 言っておくれ
僕と共に分かち合うと
ただ一つの愛を 一度きりの人生を
僕が君を孤独から救い出してあげよう

 クリスティーヌを“孤独から救い出す”のではなく、“孤独から救い出してほしい”と歌うファントム。これは『ドン・ファン』の歌詞ではなく、自分自身でも思いもかけずもれた言葉でしょう(最後に「クリスティーヌ…」と呼びかけていますし)。
 どこまでが演技で、どこまでが真実なのか。その後のクリスティーヌの行動についても。ファントムの“All I Ask of you”の最後の部分で、クリスティーヌはファントムから仮面を取り去り、その醜い顔を劇場中にさらけ出してしまいます。
 ファントムはオペラ座の巨大なシャンデリアを落とし、クリスティーヌを連れ、消えてしまいます。
 カルロッタの「何なの?何が起きたの? ウバルド!」の言葉は、シャンデリア落下シーンの後の言葉です。

 ファントムもクリスティーヌも、共に孤独でした。孤独な二人が一緒にいる瞬間から、それは孤独ではないのですが、そしてその記憶がある限り孤独ではないのですが、それでも取り残される者の気持ちは、たとえようもない悲しみと苦しみでいっぱいになります。
 取り残される悲しみ、それは後にラウルも味わうことになるのが、また美しくも悲しいです。



グスタフ・クリムト 「愛」
Gustav Klimt: Liebe (Love), 1895.